隣にあるアピタには結構行く機会があるのだが、聚楽園公園に行くのは30年ぶりぐらいである。
行ってみると聚楽園公園周辺は、「しあわせ村」という名前の、温水プールやジム、福祉施設を備えた、市の大規模な公園施設になっていた。
聚楽園といえば大仏様。久しぶりに見る大仏は近くで見ると、やっぱり大きかった。奈良の大仏より大きいと聞いている。昔は中に入れたという話しだが、現在は封鎖されていた。大仏の色も昔はもっと赤かった様な気がするが、現在は良い感じの銅色になっていた。
昔話なのですが、私は友人から、この大仏が赤いのは、隣接する製鉄所の鉄粉が付着して赤くなっていると聞いて、しばらくそれを信じていたことを思い出す。もちろん、そんな馬鹿な話しは出鱈目なのだが、ちょうど公害が問題になっていた時代で、東海市の人は大変だなぁと思っていたのを思い出す。
賽銭箱があったので賽銭をしようと思ったが、賽銭箱の底が抜けており、見ると「賽銭をしないで下さい」と書いてあった。そういえば、この大仏は信仰としてではなく、観光目的で建立されたものと聞いている。市の管理下に置かれたので、役所としても、めんどうくさい金勘定はしたくないのだろう。いかにも役所的な考えだ。少しでもお金を貯めて、維持費として活用すれば良いのに。では、あの賽銭箱はなんのために設置されているの?ということになってしまう。
なんだか大仏が可哀相な気がする。
これが別の形のモニュメントだったら問題なかったのだろうが、大仏だから取り扱いには配慮が必要だ。そう考えると、昭和2年の建立から現在まで、この大仏に関しては、公共的、宗教的に様々な問題があったのだろうと思われる。詳しい経緯は解らないが、やっと現在の状態に落ち着いたということなのだろう。
大仏の眼前に広がる風景。製鉄所がどこまでも続いている。
日本最古のコンクリート製大仏は何を思うのだろう。